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思いついたことを整理してます。

日本国憲法第9条の是非の前に憲法の歴史を知ろう

先日NHKがなかなか良い番組

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をやっていて、つい見入ってしまったのですが、現政権が改憲を目指すと言って成立して以来、喧々諤々の議論が続いていますが、割と憲法の字面の議論ばかりで、成り立ちの経緯について想いを致すことが無いようなので、少しここに書きたいと思います。

 

皆さんご承知の通り、現在の日本国憲法は戦後発布された物であり、戦前は日本帝国憲法でした。内容については様々あるのですが、最も大きな点は「主権が天皇から国民に移った」ということです。教科書にも出てきますよね。

そしてその次に大きな点は「戦争放棄」を明記していることです。こちらがいわゆる9条という部分に書かれていて、今議論が盛り上がっているところです。

 

さて、安倍さんは「日本国憲法はアメリカに押し付けられたものだ」ということを言ったとか言わないとかだそうであります。個人的にはこれは半分正解で半分間違っていると思います。

半分正解であるのは、「原案は間違いなくGHQから指定された物」だったからです。半分間違いだと考えるのは「日本はこのレベルの憲法改変を受け容れないとまずかったので、積極的に採択せざるを得なかった」からです。

 

敗戦当時の世界情勢を見てみましょう。ヨーロッパではすでにドイツが全面降伏しており、決着がついていました、この時無条件降伏でしたので、日本が降伏条件を付けようとしたときに受け付けられなかったのはこの為です。アジアでは日本が中国から撤退するとともに中国で共産党毛沢東)と国民党(蒋介石)が全面戦争に突入していました。朝鮮半島では北朝鮮がすでに建国されており、ソヴィエトは終戦間際に満州に電撃侵攻してそのまま頑張っていました。

アメリカの視線は既にソヴィエトをはじめとした共産圏の国との付き合い方に向いていました。ドイツは既にこんな感じに分割占領されており(出典Wikipedia

ドイツの位置

日本もそうすべきという声が上がるのをアメリカが抑え込んでいる状況でした。そこで、アメリカの占領の上に「極東委員会」という連合国の組織が成り立っていました。つまり、GHQ極東委員会の指示に従わねばなりませんでした。

 

アメリカ本国としては、ソヴィエトのみならず、朝鮮、中国、東ドイツ(国家としての成立はもう少し後)などどんどん共産主義が広がっており、危機感を持っていました。日本はどうしても東側の防波堤としたかったのです。

 

極東委員会」は英・米・ソと中華民国オランダオーストラリアニュージーランドカナダフランスフィリピンインドの11カ国で構成されていました。当然ソヴィエトは自国の立場を主張しますし、中華民国は日本に恨みがあります。オランダやイギリスも植民地を日本に占領されました。

その「極東委員会」で「天皇の戦争責任を裁くべきか否か」ということが大問題になっていました。ドイツではヒトラーの戦争責任(つまり戦争をやるという決定・指示をした)は既に明らかでしたが、自殺していました。「日本の戦争責任は誰にあるのだ」ということになります。

他方、降伏して以来の日本政府は「天皇が処断される可能性」は降伏当初から分かっていました。条件を付けようとしたのは正にここでしたが、無理だったのは先に述べたとおりです。「何としても天皇陛下を守らねばならない」これはナショナリズムのようなものも当然ありましたが、現実的な問題として「敗戦したと言えど国民にとっての天皇陛下は特別で、何かあれば反乱が起き、内戦状態になるかもしれない」という危機感がありました。簡単にナショナリズムで片づけられる問題ではなかったのです。

 

アメリカとしてはそうそう自分たちに銃口を突きつけられてはたまらないので、軍国主義的だった日本を作り変えねばなりません。そのことは日本政府にも伝えてありましたので、当時の首相幣原喜重郎が自発的に「平和を謳う平和憲法にしたい」という意向をマッカーサーに伝え、歓迎されたと言います。

ところが、松本国務大臣を中心としたメンバーが作った新憲法草案は、「国体護持」すなわち天皇を守らんとするために、主権を天皇に置いたままの草案となっていました。これにGHQが怒ります。天皇中心の国のままであることは、極東委員会からすれば何も変わっていないことと同義で、アメリカの主張が通らないからです。「アメリカは占領して指導しているくせに何やっているんだ」となるわけです。

また並行して東京裁判が行われていました。こちらはGHQの下部組織でしたが、極東委員会と同じ国から一人ずつ裁判官が派遣されていました。こちらでも戦犯と併せて天皇の戦争責任を認定するかどうかで大議論になり、それについても良い番組

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があるのでお勧めしますが、それはそれとしてオーストラリアあたりは「天皇制など解体してしまえ」と言い、大モメになります。

 

さて、GHQとしてはマッカーサー天皇対談を新聞に載せた際の効果を見、「明らかに占領政策に有用」とマッカーサーが考えたようです。そこで、極東委員会を納得させる形で天皇を残すべきという結論に至ったようです。

そこで出てきたのが日本国憲法案です。天皇を主権から外し「象徴にとどめる」という形で残しています。ここまでしないと中華民国やオーストラリアは納得しません。そういったことがだんだんと伝わってきましたので、幣原喜重郎GHQ案を議論のスタートとすることにしたのです。天皇戦争犯罪人とされることから逃れ、残していくためにはこれしかなかったというのが当時の状況でした。

 

押し付けられたけれど、ほかに選択肢も無かったということがお分かりいただけたでしょうか?もちろん国内政治権力、国際政治権力が入り乱れた、決して潔癖な議論だったとは言えないものだったと思いますが、その中からみんな現実的な選択をしたということだと思います。

 

さて9条に移ります。冒頭で紹介した番組にも出てきますが、「平和国家を建設する」という意思は昭和天皇から発せられています。そしてこの日本国憲法第9条は幣原喜重郎が「平和憲法にしたい、戦争をしない憲法にしたい」という意思表示をし、マッカーサーから草案に加えられたものだとされています。その後、法律を専門とする国会議員が委員会でもって

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

という条文にしたのだということが分かってきました。

特に第一条の冒頭は、軍の意向で国際連盟を脱退せねばならなかった外務省から「まともに国際条約を守る国にならねば信用されない」という思いとして出された意見が反映されています。日本を少しでも良い国としてスタートさせたいという当時の党派や部署を超えた思いが結実したものと言えるでしょう。

 

さて、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」というのは内に籠っていていいということなのでしょうか?第一次大戦ころの植民地戦争であったり、冷戦時代の代理戦争であるアフガン戦争みたいなものであれば「加担しない」というのは一つの選択肢であったと思います。しかしながら、国対国の戦争が稀になりつつある現代においては引きこもりは国際的な信用になるのか、あるいはそれ以外の国際貢献をし、信用を得る方法があるのかよくよく考えねばなりません。

 

日本は資源の乏しい国で、他国との関係を切ってしまっては生きていけないことは先の戦争でよく分かったことの一つです。国際的な信用なくして日本はあり得ません。当時の人たちが思い描いた国際平和とは今どの様な形を示すのか、そしてどのようにしてこの国を守っていくのか、慎重に、だけど変えないことだけが選択肢であると最初から考えずにじっくり考えてみる必要があると思います。

その時に、先に述べた、幣原喜重郎吉田茂が何をどう考えて今の憲法の形にしたのか、そのあたりに思いを致すことは、決して時間の無駄ではないと思うのです。憲法9条を字面だけで捉えて議論するにはあまりにもったいないと思いませんか?