皮下脂肪が減らないミートテック野郎のブログ

思いついたことを整理してます。

某芸人さんを見てて思うところ

最近、某政治討論番組に某芸人さん(以下M氏)が出て、安全保障テーマの時に「敵が来たら殺されればいい」とか極端なこと言って、ほかの出演者から総スカンを食らった上にTwitterも大炎上しました。それだけで終わっておけば「はは、若いねぇ」ぐらいで済んだのかもしれませんが、自分の主張や漫才の政治ネタがウケなかったことについて「こういったものも放送できない日本ガー」みたいな他責で暴走し出して醜態をさらしております。

 

彼が主張したことで一番気になったのは「政治的なことなど俺はわからない。けれども俺の主張は正しい。だから聞け。」という趣旨の発言をしたことです。

知らないことは悪いことではありません。これから調べたり学んだりすればよいのです。しかし、無知を誇るのはちょっと話が違います。無知を誇る者の話は誰も聞きません。いろんなことを学び、経験した人の話は迫るものがあるので皆聞くのです。その過程を端折って彼はオピニオンリーダーになろうとし、そして潰れていきました。

 

実はこの手法は、シールズという国会議事堂前で怒鳴ってた集団のリーダーと同じです。彼も同じく潰れていき、今では政治活動家のレッテルをはがすため、大学を変えて大学院に在籍しています。

2者に共通するのは「盲目的に話を聞いてくれる若い世代の信者がいる(いた)」ことですが、信者たちは彼らの話だけを聞き、ほかの政治家などが登壇しても一切耳を貸さないことです。つまり目的が無く、リーダーを盛り上げることだけに連帯感を持っていることが非常に面白いところです。しかし、この姿勢ではそこから先の実りはありません。現にすべて立ち消えになりました。

 

前置きが長くなりましたが、政治に限らず、物事には流れや経緯があります。今の自民党政治を批判する人は少なくありませんが、そもそも何で今自民党政権なのか、その経緯を紐解かなければ多くの人が耳を傾けることは無いでしょう。現に今の野党がそうです。

仕事などでもそうです。何かを変えようとする時、以前から其処でやってきた人が必ず居ます。その人を「抵抗勢力」と切ってしまうのは簡単ですが、必ず後で面倒なことになったり、こちらが「強引」などとレッテルを貼られることになります。最終的にその人の意に沿わなくても「ふんふん、なるほど、そうなんだね。でもこうしていかないといけないので分かってね」という会話が必要です。とても手間がかかるし、地道で目立たないのですが、意外とこれが一番早かったりします。

 

この地道な会話の担い手として私が尊敬するのが鈴木現夕張市長です。夕張市のかじ取りを引き受けただけでも凄いのですが、上下水道のインフラ費用を削減するため、また福利厚生を向上させるため、一軒一軒回って移住の説得をしたといいます。結果、納得して移り始めた人たちが出て来て、新しい街づくりが少しずつ進み、今では他の自治体のお手本になっているといいます。(この辺りは新聞記事も多いので興味がある方は検索してみてください)

 

何かを主張するときには、対象となる人たちの経緯を理解してからでなければ空疎になります。相手におもねって骨抜きになってはそもそも意味はありませんし、知らないなら知らないなりに主張ではなく感想とすべきです。ブログもそうですが、今はSNSが隆盛を誇る時代です。メディアや政治家もこの膨大な流れのデータをよく見ています。ということは上手に主張していれば、何かが少し変わるかもしれません。

怒鳴ってばかりいても、利用され、それでいて批判だけはこちらに押し寄せてくるだけです。

下手くそなコミュニケーションをしているとストレスばかりが増えて、かつての時代にはなかった折角のチャンスを上手に生かすことができません。直接の会話であれ、SNSであれ、上手に付き合っていきたいものです。